かえるの忘備録

最初の目標は続けること。めざせ1か月。柔軟も続ける。脱腰痛。

「嫌われる勇気」を読んで_11日目

岸見さんの書いた「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を読んだ。嫌われる勇気は2014年ぐらいに購入して読んだ作品で、気の向くときに読み返しているが「アドラー心理学」というのは正直言って全然わからない。

自分なりに理解できたことを簡単にまとめると。今の自分の性格(ライフスタイル)があるのは、今の自分がそれを決定し、選択しているから。そこには過去のトラウマや経験などは原因ではない。自分の課題と他者の課題を分けて考えること。このとき課題の主はその選択をしたときに一番恩恵・損害を被る人である。なので、自分の子どもに勉強を強要することはできない。ただ、相手にとって精いっぱいの援助をすることを伝えること。「水辺に馬を連れていくことはできるけど、水を飲ませることはできない。」相手を無条件に信頼しなさい。相手が自分のことを信頼するかどうかは、相手の課題である。

人生のタスクは仕事・交友・愛の3つのタスクであること。ただし、教育(教職者)とは交友のタスクとして、生徒と接しなさい。そして、生徒を尊敬する。それは、相手がなにかをする・したから尊敬するのではなく、そこに居るだけで・存在自体に価値があることを認めること。相手の目で見て、肌で感じるように考えること。相手の興味があることに関心を向けること。。。

とかとか、なんか断片的にワードとかは、理解した気になってはいるけど、これがどうも頭の中で組み合わさっていかないんだよね。。。

でも、原因はなくて目的が大事で、「悪いあのひと」「かわいそうな私」の話をする・聞くのではなく「これからどうするのか」を話なさい。とかすごくいい考えだと思うんだけど、耳当たりの良い言葉なんだろうか?

やっぱこの本は単なる自己啓発本で、宗教とか、前向きに生きよう!みたいな類と一緒なのかなー。もう少し考えて、また読んだらここでアウトプットさせてもらおう。

【今日をふりカエル】

・スーパーの目の前にある野菜屋?にゴーヤの苗をみつけた。今度買ってまたゴーヤリベンジしよう。

ではでは、おやすみなさい。

Web飲み会_10日目

大学の部活仲間とWeb飲み会をした。卒業してから、いつもGW・お盆・忘年会と集まっている部活の同期と今回はWebで飲み会をやってみた。

最初はネタぐらいの感じでやってみよっかーみたいな感じで話ていたのだが、やっぱり毎回集まっているだけあって、みんなそわそわとして具体的な日にちが決まり、いざ今日を迎えることができた。家庭があったり、子どもがいたりするのにこうやって機会を作ってみんなが集まろうとしてくれるのは本当に嬉しい。

みんな最近なにしてるかとか、コロナで仕事がどうとか、きっと苦しいこともいろいろ人それぞれ抱えているだろうけど、集まって違う場所でも語り合えること。やる前はWebのみって空間も違うし、食べてるものとか、飲んでるものも違うからきっとあんまり盛り上がらず終わるだろうと思っていたが、そんなことはなく気づいたら5時間近く続いていてほんとにこの仲間と学生時代、そして卒業してからも交流を続けていられることは幸せなことなのだなと感じた。

 

そして、同時にこうやってWebでの飲み会に1回ですっかり慣れてしまったことは、新しい時代が来てるんだなとも感じた。新型コロナでいろんなことが制限されているのは紛れもない事実だ。しかし、制限の中で生まれる・促進されるWeb会議や遠隔授業、リモートワークなどはこれからの時代にかけがえのないものとなると思う。これからどんな時代が来るかは正直わからないけど、自分がこのコロナでいろんなことが目まぐるしく起こる「今」に、「今」の仕事に就いていて、今の生活を体験できていて本当によかったなと強く感じる。

 

【今日をふりカエル】

・バタバタと仕事をしていたら結果的にうまくまとまりそうでラッキーだったこと。

・「嫌われる勇気」を再び読み始めて、新しい発見があったこと。

飲みすぎて、眠い。おやすみなさい。

教育とは?_9日目

 

夢について。子どもが夢を語っているときに無条件に「がんばれ!夢は叶う!」というの先生ってどうか?みたいな話をした。お題を出したM氏は無条件に「夢は叶う、頑張れ!」っていうのは嫌だ、そんな先生には教えて欲しくないと言っていた。もし自分の子どもが「プロ野球選手になりたい!」と言ったときに、担任や監督から「プロ野球選手になるのは、数%の確率で~」とか言われたら、それは嫌だ!という人と、現実を教えるのも先生の役目なんじゃない?みたいな人と半々で、あーこれだけで半分に分かれるのだから、特に小・中学校の先生とかはいろんな行動で、いろんな考えを持つ親や子どもを相手にしないと行けな分大変だろうなと思った。

私はその話を聞きながら、正直なんかめんどうだなーとぼんやり考えてた。全然興味が湧かないのはそもそも「人を評価すること」ってどうなんだろうと思っていた。褒めて伸ばすというのは教育の大切な一要素だと思うんだけど、こうしよう!みたいな明確な意思があってするものなのだろうか?夢を持っている子は偉いのか?夢や目標をもって努力している子は偉いのか?諦めた子はダメなのか?きっとそういう話じゃないし、姪っ子とかに「将来の夢はケーキ屋さん!」とか言われたら「すごいねー」って言っちゃうと思う。けど、言った後で(いや、別にすごくはないか)と思うんだろうけど。

なんだろなー。なんか今日も話が全然まとまらないけど、なんか今日は終始もやっとしてたなー。でも、なんでもやっとしてたかは全然言葉でまとめられない。自分の意見を言うみんなに嫉妬してたのかもしれないし、みんなの意見自体が気に食わなかったのかもしれないし、あーなんだろう。

 

自分はどんな教育をしているだろうか?不公平・不平等になるのは嫌だ。課題に対して頑張っている、努力している人は評価したい。ただ、その人が普段頑張っているからと言って別のことに評価を影響させたくない。AがいいからBもいいじゃなく、AとBは別々でみたい。ある程度の線は引きたい。ここまではするけど、ここからは自分の領分、関わることではないみたいな。それを愛がないと言われることも時々ある。でも、それを踏み越えるとみんなにそれをしないと不平等になる。だから、助けるのなら絶対にこそっとしてあげる。

うん、もう少し考えてから今年中にはちゃんと言葉にできるようになろう。今年の目標。でも、まとまらなくても言葉にすればまとめるヒントになる気がする。いつか見直そう。

 

(今日のメモ)

夢と目標は違う。

具体的な目標に向かってどうやったらその目標が達成できるかを考えさせるアプローチが必要。

【今日をふりカエル】

・自分の送ったメールが「~です。」が「~だす。」になって、みんなを笑わせたこと。

・先輩の子どもが生まれたこと。おめでとうございます!

 

おやすみなさい。

 

餃子_8日目

今日は餃子そ作った。なんか自分がやろうとした家庭菜園だったり、ベランダでBBQ計画だったり、そんなことをぼんやり考えてたら、あとになって「家庭菜園始める人めっちゃ増えたらしい」とか「なんか休みの日にBBQする人が増えて問題になってる」とかを自分がしたいと言ってもないのに人づてに聞いて、きっとなにかしら不思議な流れがあって、自分がしたいと思っていることの大抵はひともやっているんだと最近強く感じる。きっと「おうち時間」で餃子を作る家庭とか死ぬほどいるんだろうなーと思いながら、今日はせっせと餃子を作った。

 

餃子を作るのは昔から好きで、なんか人が集まるときとか「じゃあ、餃子作ろうよ」なんて声を掛けたことも多々あった。餃子作っているときって手動かしながらだから、無言になっても全然気まずくならないし、キャベツをみじん切りしてー、焼いてーなんてしてたら結構時間かかるし、なによりビールと合うので、人と集まるときの餃子を私は強く推します!!笑 まぁ人が集まらなくても一人で餃子を作って、ビールを呑むって最上級の幸せ時間で、もうコロナでのストレスとか一気に吹き飛んで、「あー幸せな日曜日!」って気分になるんだけど。

そんなこんなで、今日は餃子とビールと幸せな一日でした。

 

あと、それともうひとつ忘れてはいけないのが今日のお昼にみた「南極料理人」。堺雅人が主演で1997年ぐらいの古い?映画なんだけど、これを久しぶりに見た。最初に観たときは「南極とかどっかに行ける職業っていいな!」って思って、それは昔から思ってたことなので気持ちの再確認みたいな感じだったと思う。そんなこんなで運に恵まれ今はどこそこ行ける仕事についているのだけど、今回観たときは、「あれ?今の職業じゃなくても、なんかいろんなひといるし、やり方によってはどんな職業でもいろんなところ行けるんじゃない?」って思ってしまった。

どんどん歳を重なると転職とかいろいろ可能性が狭まっていくけど、もっといろんなことを学んで、いろんなところを、いろんな角度で(職業も含めて)見て行けるような人生を送りたいなと思いましたとさ。

 

【今日をふりカエル】

・大好きな餃子をお腹いっぱい食べたこと。でも今もお腹が苦しいこと。

・コーヒーが上手に淹れれたこと。

そのぐらいなか?明日からまたGW返上でお仕事頑張りましょう。おやすみなさい。

なんだかんだで1週間_7日目

なんとなくだらだらと1週間続けることができた。本当は今日は土曜日で、お酒も飲んだから明日でまとめて書こうかな?なんて思ったけど、1週間続いたことを実感できたので、パソコンを開いてよかったと思う。

 

この前誰かが読んでくれたらなんてことを書いたけど、ぱっとトップに出るような他の人の記事を目にしたら、それはまた遠い遠い話だなって思った。そんなことは深く考えずにやっぱり”日記”として、日々思ったこと、感じたことを綴っていこう。1週間目の新たな決意。次は目指せ1か月。このタイトルの日にちカウントも今日で辞めてしまおうかとも思ったけど、1か月までは続けよう。

 

コロナが流行る前からAmazon Primeに毒されている私が、舟を編むの次に手を取ったのは「まだ 結婚できない男」もう半分ぐらい一気に観てしまった。この話は全部見終わってから(たぶん明日)書こう。

 

今日はその阿部寛の影響もあって晩御飯はステーキにした。おひとり様の贅沢だ。もちろん国産な訳はない。だが、牛肉を買うのはほんとに久しぶりでお肉売り場で何度も躊躇した。

 

昔むかーし、あんまり好きじゃないお爺さんに教わった肉を柔らかくする方法。肉を塩水につけて、30分がぐらい放置してから焼く。なんでこれで柔らかく、おいしくなるのか、そして本当に柔らかくなっているのかは本当のところは味音痴の私にはわからないが、とってもおいしかった。あと、お肉を焼いたフライパンで作るモヤシ炒めは絶品だった。すごい、牛肉。これからも、モヤシリスペクト。そして、結婚はしたいな。

 

予定されていたGWは、うちは全てなくなったけど、一応半分テレワーク(のつもり)なので、GWの間に衣替えとか済ましておこう。言ってるそばから雨が降ってきた。洗濯できないと衣替えも中途半端だな。文章も中途半端だけど、この辺で。

 

【今日をふりカエル】

ヘルペスだと思ってたのがただのニキビだった。まだまだ若い証拠だ。

・コンビニでラスト一個ののオールドファッションを手に入れた。ドーナツのサブスク近くで始まらないかな?絶対通うのに。

コロナ自粛で、コロナ太りに気を付けたい、おやすみなさい。

辞書が届いた_6日目

辞書が届いた。「舟を編む」を読んで強く影響されて買ってしまったが、とても面白い。自分が知らない言葉を知ることもあるが、自分が知っている言葉を辞書で引くことはとても勉強になる。初めて引いた言葉は「りんご」だった、丁度、友達と電話をしていた時に辞書が届いたので、2人で「りんご」ってなんて訳語がついているだろうと話しながら引いてみた。二人とも赤い果実で。。。と考えていたが、辞書には外は赤くて、中は白いと書かれていて、おー確かにと感嘆した。

言葉を言葉で説明する。普段からたくさんの言葉を使っているはずなのに、いざ説明するとなると、「なんとなく」で使っていてお互いにニュアンス?イメージ?だけで捉えていて、それでもお互いに大きな問題もなくコミュニケーションがとれてる。言葉というのは本当に不思議だ。

昔、なにがきっかけかは思い出せないけど、紙の辞書っていらないんじゃないかな?みたいな話を誰かとした朧げな記憶がある。結局、辞書というのはその時々の時間の一点の解釈しか書けない。それならば、このインターネットが広く広まっている時代においては、一瞬で更新されるネットで辞書を作り、随時更新していくほうがいいのではないか?と。言葉は生き物だからそのほうが符号するのかなと。

思い出してみて、うん、確かにと納得する自分もいるが、今手元に辞書があると、紙をめくる感じや、インクの匂いがあって、紙って素晴らしいなと思う。

なにが言いたいのか、今日もまとまらないけど、日本語を使う以上、しっかりと日本語の言葉の意味を知る大人でありたいと強く思う。

 

【今日をふりカエル】

・先輩が送ったメールがとても見易くて、整っていて、メールは短いほうがいいと思ってたけど、見やすいのなら長くてもいいのかなって新しい発見があった。

・あんまり仕事しなかったけど、いろんな人とコミュニケーションが取れていい一日でした◎

今日から5月、おやすみなさい。

さくら_5日目

季節の移り変わりを感じる今日この頃。ふと、桜の木を見上げるともう葉っぱが青々と茂っていた。つい、この間桜の花びらをたくさん咲かせていたはずなのに、葉がたくさんと生い茂る様は植物の生命力を強く感じる。いま、世界ではコロナウイルスの影響を強く受けているが、それにしたっていつの間にか、毛布が2枚いらないくらいに温かくなってるし、日が暮れるのもどんどん遅くなっていくし、草木は生い茂っていくし、自然の力は偉大だなと感じる。あ、コロナウイルスも自然の力なんだけどね。

うちにあるかわいいかわいいアラレアちゃんは、観葉植物なのでたぶん実や花は咲かせない。だから、アラレアが日光を浴びてるのを眺めていると、すくすくと育つために力を溜めて、どんどん葉が増えているように感じる。

少し話は逸れるのだけど、暖かくなって最近ベランダにアラレアを出して出社して、帰ってきたら部屋に戻してという暮らしをしてる。すると、帰ってくると「あれ?また、新芽が出てる!」と2週間ぐらい思っていたのだけれど、最近そんなペースで新芽が出てたらもっさもっさやん!ということに気づいて、写真を撮って検証してみたら、そんなに葉は増えてなかった。。。幻覚だった。恋は盲目という言葉はよく耳にするけど、これが物にも当てはまることを知った。

そう、アラレアは日を浴びて「今」成長するために力を溜めているという感じがするけれど、今日見た桜に木はなぜだか、きっと来年に花を咲かせるために夏の間にいっぱい力を溜めこむんだろうな、と感じた。

そんな桜を見て、「あー自分もいっぱ葉を伸ばして、花を咲かせなきゃな」なんてポエマーみたいなことを思った仕事からの帰り道でした。

 

【今日をふりカエル】

・疲れてるときに、昨日とは別の後輩からチョコとチーズを貰ったこと。

・あと、お腹空かせてたらクノールを譲ってもらったので、明日ちゃんと返そうと思う。

・きっとお菓子は回りながら幸せを運ぶんだなーと、ポエマーな一日。

↑ポエマーってもう死後なのかしら。おやすみ。